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日本人ってどんな人種? 日本の伝統文化ってなんだろう?と疑問を持つ時、総合的な美意識が組み込まれている茶の湯から見つめることで少し参考になるかと思います。
茶の湯も時代によって美意識が少しづつ変化しますが、根底に流れている基本的な考え方は同じです。

茶の湯とは

━━茶禅一味

  • 茶の湯と禅とは{茶禅一味」と云われるように切り離せない深い関わりがあります。茶席の床の間には禅語が多く掛けられる。お茶との関わりとは…。

 

茶の湯とは ただ湯を沸かし 飲むばかりなるもとを知るべし
茶の湯は自分自身の生命のもとを看るためのものである。我欲に捕われないあるがままのもとの自分を見つめる。それが千利休が考えた茶の精神です。

茶の湯の空間

━━━魂のふれあう空間

  • 茶室の材料は素朴の材料が使われる。
    壁も綺麗に仕上げない。
    それは飾らないもとの純真な心にもどる為の空間なのです。       

 

茶の湯の本意
小座敷の茶の湯は、第一仏法を以って修行得道すること也。家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにてたること也。是仏の教え、茶の湯の本意也。水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶を点てて、仏にそなへ、人にほどこし、吾も飲む。花をたてて香をたく。みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶ也…南方禄より.

露地

━━━心を清めて行く伝い

  • 露地は茶室に入る前に清めて行く為の伝えです。露地の清め方塵一つなく清められた状態ではなく木を揺らしし少し落ち葉が落ちた風情を良しとする。あるがままの「わびの心」を大切にする露地の掃除の逸話もあります。

さる方の朝、茶の湯に、利休その外まいられたるが、朝嵐の椋の落ち葉つもりて露地の面さながら山林の心ちす。利休あとをかえりみ、如何にもおもしろく候。されど亭主無功なれば、はき捨てるにてぞあらんという。後の入りに一葉もなし。その時、惣じて露地の掃除は、朝の客ならば宵にはかせ、昼の客ならば朝、その後は落ち葉のつもるもそのまま掃かぬが巧者也といえり。(茶話指月集より)
 

掛け物

━━━茶席の禅語

  • 禅の語が掛けられることが多い。もてなす亭主が掛物の言葉に同化し、もてなそうとする姿勢が感じられる席はすばらしいですね。「本来無一物」という掛物を掛けながら、茶道具を見せていたのでは滑稽になってしまいます。茶道具は鑑賞品ではなく「あるがまま」の自分に戻る為の道具なのです。

炭点前

━━━湯相を整える

  • 茶の湯の中で最も大切なものです。その日のお客
    様の為に水を汲み、火を起こし「峠の松風」と言わ
    れる湯相を作り、一服のお茶を点てて行きます。

茶の湯の原意

器の善悪を択ばず、点ずる所の容態をを論ぜず」、只茶器を扱う三昧に入りて、本性を観ずる修行をするにあり。(禅茶禄より)

茶の湯の極意(武野紹鴎)
お茶を点てずに茶を点てろ。

利休百首
その道に入らんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけり。(宗鳳本)
茶の湯の師匠というのはお茶を習おうとする純真な心が先生なのです。心の師は外に求めるのではなく自分自身の中に求めて行きます。青い鳥です。お茶を学ぶということは「純真な心」に戻る為の手段を学ぶということです。

茶禅一味
禅というのは捨てて行くことで心の安定を計ろうとします。大きい癖は固定観念です。心の歪みを直して行く。此処にお茶の原点があります。

息づかい

━━━芸の基本にある息づかい

  • お点前の所作の中に息づかいがあります。息という字は「自らの心」と書くように芸事をされる方々は「呼吸を手に入れる」ということを云います。物事に動じない呼吸法を学び肝心な時に動揺しない心 を養って行きます。姿勢が悪いと呼吸のコントロールはできませんが。立ち振る舞いの美しさは中心姿勢のとれた動きの中に顕れて参ります。間のある動きは美しいものです。

寒熱の地獄に通う茶柄杓も 心なければ苦しみもなし(利休の歌)

茶碗

━━━粗相な茶碗に真実を見る

  • 茶碗の拝見
  • 火によって焼かれた土。ギリギリの所で火と向き合い生まれ変わった尊い「いのち」があります。あるがままの姿です。茶碗の拝見を通して自分の心を見つめ直したいものです。

茶懐石料理

━━━料理の原点がここにある

  • お茶のときに出される料理です。素材の元のままの味を大切に致します。盛り付けも余分な飾りつけは一切ありません。シンプルです。

お茶事

━━━お茶事の実践

  • 最初のご飯を取るタイミングに全神経を傾ける。温かいものは温かくだせるように心遣いをして行きます。厨房の動きもお点前と同じように無駄のない動きができるように…。自分自身を真剣に向き合わせざるを得ない状況に追い込む快感が良いですね。(充実感は真剣に向き合った分だけが変わるだけです)

茶の湯の美意識
   表面的な美しさではなく生命の根本から発露してくる美しさです。

 

茶花

━━━花を活ける

  • 花は美しく咲こうとしているのではありません。あるがままの姿です。花の心をいける.

水屋

━━水屋の使い方

  • 水屋は細身で少し弱々しく作られております。それは道具の扱い方を通して心の修正をする所だからです。水屋には水屋飾りという置き方があります。使い勝手に無駄のない動きが出来るように飾ります。お点前と同様、水屋お点前があります。

わび さびの心
わびしい さびしいという満たされない今の状態を認め、それをむしろ積極的に肯定し、心の奥から湧き上がってくる真実の自分の声に正直に生きようとする心です。

わびの心を
日本人はものを通して豊かさを求めて参りましたが、逆に心が荒んでしまいました。物と心はシーソーのようなものです。物が重ければ心は軽くなります。物と心のバランスを取る為に茶の湯の「わびの心」を…。

飾らないあるがままの自然体で生きる。
人間は外からたくさんの知識を入れても本能にタッチできる学び出ないと、いざというとき何の役にも立たないし、人間も変われない。芸事は自分の内を見つめ、修正し、より人生を豊かなものにするために使いたいものです。

茶の湯を通して何を学ぶのか?
それはお茶の知識、道具をたくさん知ることでもない。お茶のお点前を完璧に覚えることでもない。利休が命に代えて、守り通した心、覚悟を学ぶのである。命に代えても突き通す純真な心。これがなければ茶の湯も「ただのママゴト遊び」になってしまう。

日本の素晴らしい腰腹文化
丹田」という言葉はお聞きになられたことがあると思いますが「生命を生み出す場所」という意味です。
日本人は昔から芸事などで「息を手に入れる」と云われる言葉があるように丹田を造り、眠れる潜在意識にタッチしようとする文化でもあります。眼に見えない力を引き出せる人、これが一流と云われる人です。人間の目に見えない力を引き出そうとする日本人の文化。これをなくして日本の文化は語れないのです。芸事に共通する基礎の部分が世界に誇れる日本の文化の骨子なのです。

上記に述べてある考え方は呼庵で行う基本的な考え方であります。すべての茶の湯が同じ考え方ではありません。他の日本文化を理解する時、外国の文化の比較をする時、ご参考にして下さい。

大和の心

大和三山 

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