伝統に学んで日々闊達、人生を面白くしよう! 強健術(オーストラリア通信)1

皆様、ご無沙汰しております!
お元気でいらっしゃいますでしょうか?  まい花です!

こちらは最近すっかり春めいて薫風や春の嵐など季節の移り変わりを感じます。
チェリーブロッサムといって桜の枝などが花屋さんで売られていますが、枝や花の柔らかで
繊細な感じがなく、日本のとはちょっと違うな〜とおもいます。やはり日本の桜は綺麗ですね!
 
【太陽に輝くシドニー湾とオペラハウス】
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【緑一色だったハイド・パークにも春らしい色が】
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最近マッサージセラピストの学校を卒業してゆっくり勉強をする時間がとれるようになったので
再びブログを投稿させていただきました。
 
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「伝統に学んで日々闊達、人生を面白くしよう!強健術」

 

まえがき

肥田式強健術とは何か?と尋ねられたら、
「近代科学に裏打ちされた日本の伝統的気合による心身鍛錬法」———とお答えするのがスッキリするかな
とおもいます。私たちが学んでいる強健術は、日本発祥の心身の鍛錬法である。伝統的技法(気合)を用
いるものである。そして科学をベースにしている。という特色を持ち、それがこの学びを唯一無二のユニ
ークなものにしています。
 
これらの特色を理解することは、鍛錬の本質に触れることを可能にして、更に今生きている日々に活かす
為に役立つはずです。そこで、強健術の鍛錬を自身の人生の糧として行っている皆さまと共に、この
肥田式強健術の肥田式強健術なる要素を紐解いて鍛錬と日々の生命に於ける向上の一助と為すべく、
2016年の末にかけて「伝統に学んで日々闊達、人生を面白くしよう!強健術」を隔週連載したいと思います!
 
 
第一回「学ぶ」とはどういうことか!?
 
肥田式強健術において向上とは「武道の精華たる気合をもって」「腰腹同量正中心の鍛錬」がなされる
ことです。このために「学ぶ」こと、「稽古」すること、「鍛錬」することが必要になります。
今回はこれらの言葉の起源から伝統的な学びの方法である「学」「稽古」「鍛錬」を強健術という文脈で
考えてみましょう。
 
学問というと机の上で書物を読んだり文章を書いたり問題を解いたりするイメージかありますが、学という
漢字は子供に手取り足取りしながら教える形を表していて、古代の中国では詩をうたったり舞ったり身体を
使った模倣による学習を指していました。人は無意識に真似をする習性があるそうで、何かを習得するとき
には必ずマネから入ります。
 
稽古という言葉は昔の事を調べて考えるという意味があり、過去の歴史を学んだりして学問をするという
意味だったのが、日本に定着してから室町時代以降武道や芸能などにおいての練習を指すようになりました。
 
鍛錬という言葉は元は金属を鍛える意味が、稽古と同様に日本に入って武芸などを通じて心身を鍛えて強く
することを指すようになりました。
 
「学ぶ」内容は、まず師匠のマネをすること。狭くは道場において型を習い、師の姿勢と動きを目に焼き付け、
気合の響きと息遣いを感じ、言葉を記憶し、道場の外においては師の生活、生き方、哲学、立ち居振る舞い
から人への接し方まで、どのように人生に強健術を活かしているのかを知るためにこれらも模倣します。
師を身体でなぞることで身体に記憶させ、考えさせます。
 
これはそのまま「稽古」に繋がります。「古(いにしえ)」即ち自分より長く学んでいる師について全身で
「稽(かんがえる)」のです。この「稽古」は身体による模倣に限定されません。もとの意味が学問を示した
ように、今は直接触れることの出来ない先人の残した言葉を書物などから知ること、歴史や科学などこれまでに
集積された人類の智慧を知る行為も大事な稽古の内です。「腰腹同量正中心の鍛錬」とはどういうことなのか?
を色んな角度から調べてみる。さらに進んで、「いにしへ(古)」が「去にし方」、過ぎ去った過去を全て含む
ならば、昨日の自分や、たった今終えた型を省みることまでもが稽古になるでしょう。
 
そして「稽古照今」、昔を知った上で「今」に照らしてかんがえる。肥田式を鍛錬された先人がどのように
生きたかを知って、では今という時代に於いて、自身の人生にどのように活かすか?をかんがえる、
昨日の自分のパフォーマンスがどうであったかを振り返って今日はどうすべきか?をかんがえる材料とするのが
稽古の目的です。その過程で何が本当に継承すべき本質か単なる枝葉なのかを取捨選択して発見していきます。
 
「学ぶ」段階は全てをそっくりマネてみる、能では「無主風」といわれる段階で、その後「稽古照今」を経て
本質を捉え自分のものになったとき、真似ようと意識しないのに師によく「似得て」しまう、本質は同じで
それ以外の部分は自由たり得る「有主風」の段階になります。師の動きをマネしている段階を過ぎて自分の
動きを反省改良していくと、期せずして師の動きと重なる瞬間に出会うことがあります。
 
「稽」という字は軍門に犬の生贄を捧げて神意を量る形を表します。「稽(かんがえ)」る対象は神意、即ち
自然の法則です。先人の中に自然の法則を求めて、稽古を重ねて自然の法則に合致した時、人の動きは本質的に
同じものになってゆくのでしょう。
 
稽古によって本質を摑むことによって「鍛錬」の段階に入り、鍛えるべき本質に焦点を定めてそれをとことん
練り上げていく。ここで言う本質とは、「武道の精華たる気合による腰腹同量正中心の鍛錬」です。
 
ということで早速「学」から始めよう、もしくはもうその段階を通り越して「稽古」「鍛錬」をしているという
方は多くいらっしゃると思うのですが、実は「学」に入るには前段階があります。
 
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孔子は、定められた運命(命)を知り、自分の意思で変えることのできるものとできないものを見極めて心を正しく
使うことによって自分の未来を切り開くことを説きました。この「命」を知るために「学」に励むのですが、
「学」を行うその前に孝弟、謹慎、愛仁という態度で日常の行動ができるようになることが求められました。
これらを噛み砕くと、
 
・親やお世話になった人々の助けになるような行動を具体的に起こすという難しいことを行うことで意思を鍛える(孝)、
 
・学ぶ対象に対して頭を下げ、自分の考えや疑問を挟まず言われたことに素直に従う態度を身につける(弟)、
 
・言葉を軽々しく発しないように抑えつつしんで言葉より行動することに重きをおく(謹)、
 
・自分の本質と対話してその言葉を聞き、目標を定めて一旦言ったことは実現させる誠実さを身につける(慎/信)、
 
・利益にならない瑣末な事柄でも粗末な物でも気にかけて大切に扱い、感謝されてもされなくても憎まれても
できるだけ沢山の人を思い遣って施しをする(愛/仁)。
 
これが出来て初めてその先のことを学ぶ意味がある、というのです。というのも、これらの行動を通して自己の
言動や態度、心の持ち方などを観察、統御する訓練を行うことで日常生活の中で不満、煩悶、驕りや不和などの
否定的な情念が起きるのを防ぎ、学びに必要な健全な心身と豊かな感性を維持する事ができるからなのでしょう。
 
この過程を視覚化すると、「孝弟謹慎愛仁」の行動的修錬を土台として「学」、「稽古」、「鍛錬」を積み重ねる
ピラミッド構造になります。
 
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先人の歩みを観察すると、行動実績が圧倒的に多く、多くの人に与え、森羅万象に広く親しんで、実の鍛錬には
進むほど時間をかけずにより多くの効果を得ています。
 
武士道には儒教の考えが反映されていて、戦前の教育には徳育が含まれていました。こうした学びの過程は、
前の時代に生きていた人々や求めて教養を得た学び人にとっては当たり前だったのかもしれません。
行動力の土台なしに学んでも、積むそばから崩れてしまう、もしくは実社会で役に立たないものになってしまう、
ということを昔の人は知っていたのでしょう。
 
聖中心道はライフ-ロングの長い道のりです。着実に鍛錬をするため、行き詰まりを無くすため、自分に不足して
いるのは何か?を振り返りつつ、底辺にある日常における行動力の養成を基礎として稽古に励み、鍛錬の高みに
登りましょう!
 
 
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<参考文献>
『古代中国の文字から身体感覚で『論語』を読みなおす。』安田登 (春秋社)
『「稽古」及び「練習」の語誌的研究』『「鍛錬」の語誌的研究』南谷直利、北野与一 (北陸大学)

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