息づかい

息づかい

息は自らの心の使い方であり、空気を吸ったり、吐いたりする呼吸法と考え方を異にする。生命のバランスを整えることにある。

肥田式で行う息づかいは生命を生かす息づかいになる。自らの心の息づかいであり、心が息をしているのです。肉体が息をしているのではないのです。中心とは中の心。中心軸は心なのです。

生命を生かす息づかいとは心と肉体のバランスを取ることで新陳代謝を活性化させて行く方法です。肥田先生は幼い頃、カヤ棒と呼ばれ、いつ死んでも不思議でないほど虚弱であり、その病弱な身体を直すために新陳代謝に目を付け、自ら運動法を編み出し大悟徹底までなされた。

一番最初に出された心身強健術の本の冒頭に鍛錬は気合で行うと書かれている。一般に読まれる本の中に気合という言葉が冒頭にでてくるとこれは普通の人がするものではないように感じてしまうが、心と肉体を一体で使って行うと解釈すれば問題はない。大切なものだから冒頭に書かれている。

心と体は一体で動く。意識、心で肉体を動かす。意識の持ち方で細胞に影響を与えてしまう。

心と肉体のバランスが取れている時には細胞分裂は活発になる。意識が下がっている時には細胞分裂は鈍る。そこに不安、悩み、妬み、嫉妬、ストレスがかかると細胞にダメージを与えてしまう為、新陳代謝をより狂わせる。肉体と心が調和されている時、新陳代謝が正常に働く。心が乱れている時、肉体も乱れるということになる。病気は バランスが崩れて新陳代謝が滞り病気になる。気の病と書きますね。

人間は病気になると答えを外に求めてしまいがちになりますが、内に向けなければ根本修正はできない。

新陳代謝が活性化させるということは心に不調和なる心を持ち込まなければ新陳代謝を狂わせることはない。より健康で居られる。バランスを取ることで新陳代謝か活発になる。すべてバランスなのです。

心が不調和で肉体だけを鍛えても効果は薄いということです。

元気って元の気と書きますね。気は心。気心と云いますね。

元気になるには肉体を通して意識的に気を高めなければならない。一時的に良くなってもまた戻ってしまう。すべてのカギは意識にあります。
肥田式は健康体操ではなく生命活性法なのです。

肥田先生が心身強健術と名付けているのは心と肉体のバランスを整えることをおっしゃっておられる。

運動をすれは新陳代謝が高まるかというとそうではない。その人の意識の持ち方で決まってくる。

肥田先生が中心力と云われているものはバランスのことを言っておられます。

新陳代謝を活性化するには運動を積極的に行う。意識圧を下げないで意識で鍛錬すると効果は表れてくる。

一番大切な学び方、肥田先生の肥田式に対する思いを学ばずして技術だけを学ぼうとする。これでは型踊りなのです。肥田式の型には力はありません。生命を活性化させるすばらしい型ですが、それを自分の人生をより豊かにするためには心がなければ人生を生かす型として使えないのです。肥田先生の型の物まねをしても意味がないのです。

息づかいには2つの息づかいがある。吸引と放出の息の使い方です。

息を吸う時、内圧が上がり、自分の中にエネルギーがチャージされる吸引発酵型。

これは人間が自然に行っている息づかいである。

吐き出す時、外気圧より高い内圧の高い空気が放出される。息をすることで周りを清めている。自分が良くなることで周りも良くなる。人を幸せにさせる息づかいである。

これが逆になると周りからエネルギーを奪うことになる。この息の使い方は腐敗の使い方、老化の使い方になる。

今、コロナで不安があると思いますが、意識をコロナに合わせないことです。同じ波動に合わないことです。コロナの感染は自分が呼び込みます。コロナは勝手に入ってきません。呼び込まなければ。

この機会に息を見つめ直して見ては如何でしょうか?

たなか幽月

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