有神無我

有神無我

肥田先生の宇宙倫理の著書の中にある言葉が頭をよぎって来る。
あまりに超人すぎて足元にも及びませんが、自分の鍛錬のために
あえて書かせて頂きます。
肥田式の鍛錬は上虚下実の鍛錬にありますが、虚ということについて
肥田先生は次のように書かれております。
 
中略
虚ならざれば、真の真に到り得ず。真の質は即ち真の性である。
虚は即ち凡てにて通ずる。凡ての真は凡ての真なり。
虚ならざれば滞る。滞る時は向上進歩が止む。
虚は一である。一は虚の真である。真は真にして虚なるが故に、真は
只真である。 一つの真に徹すれば、無限永恒の真に連なる。 年去り
年来るも真に離れしものは、浮空の幻華のみ。只法光の実相を提げて、
宇宙の霊玄を印破し得られるべし。
 
如何にして虚により、真を学ばんか?
正しき姿勢による虚実の妙によることをもって最上とする。
正禅の玄機は即ち其の処に潜むものである。
正しき姿勢態型は、解剖学的、幾何学的、生理学的、数学的であって
神経学的、心理学的、精神的心霊的結果を齎すものである。
 
正中心虚によって、虚の虚を致し、全虚純虚聖虚によって虚の虚なる
唯一神を仰ぐべきである。
・『汝我が前の前に我以外、何物も神とすべからず』(申命記五章七)
・『汝、四井なる民の神々に従うべからず』(申命記6章十四)
・『他の神に従いて之を奉ふこと勿れ』(エレミヤ記35章15)
・『汝我が面の前に我以外、何者をも神とすべからず』(出埃乃記二十章三)
総じてを虚にして、只唯一絶対完全神を仰ぎ奉る。
新井奥邃が私の題辞として送られた一句を誌して置きたい。
『有神無我』と、有無の絶妙境は即ち此処にあり。
                                                                                   (聖中心道 No21より)
 
肥田先生の云われる『肉体の物理的重心に、力学的無形の球状緊張を
起こすことによって、脳幹思考中枢の細胞機能を停止状態に置くこと
によって、ダイヤモンドのような清澄な宮殿を造ることができること
を実証された。 すべては虚であり、肥田式の鍛錬の妙味はここにある。
人間は誰もが神の子であるが故に万物の霊長としての能力はすでに
人間一人一人に授けられている。肥田式は機械的に身体を使ってその
能力を引き出すことができる唯一の人間覚醒の鍛錬ということになる。

 

たなか幽月

 

 

 

 

 

千鳥ヶ淵の桜

4月の入学や入社の時期は東京ではお花見の季節でもありますね。
子供の頃からお花見時期は入学シーズンでもあったりで新鮮な気持ちが持てる時期かと思います。
ちょっと外出する機会があり、都内の千鳥ヶ淵の桜を見ることにしました。

 

昔も一度この時期に立ち寄ったこともあるのですが、昔はござなどを敷いて夜桜の時期は花見酒を
多くの人が楽しんでいました。 今はここではそんなことはできないようにコンクリ敷と花壇と
なって座り込むことができないようになっております。

 

ほぼ満開のこの時期、平日ではありましたが大変な人混みでありました。
東京の桜をお楽しみいただければと思います。

 

           (高橋 記)

 

 

 

 

 

 
【この桜は気象庁の基準桜です(靖国神社内にあります)】

 

年頭のご挨拶

年頭のご挨拶

 

新年あけましておめでとうございます。

 

この頃、鍛錬会場の雰囲気が変わってきたように感じます。

虚弱体質で茅棒とあだ名がつけられ、ひ弱な肉体、死を見ること数度という 大病に見舞われ、当時の医学書の中に人間は7年で新しく生まれ変わるという 活字を見つけ、18歳で心身を改造することに決意し、代謝に希望を託し、 西洋の様々な運動と東洋の丹田養生法、武道の気合を融合させ、心身を強健体 に作り上げました。その時の想いが10年でだめなら20年かけても必ず身体を 治して行くという強い覚悟が著書の中に書かれております。実際はわずか2年 で強健体になって行きます。

 

心身改造によって心身とも充実し、明晰な頭脳まで手に入れ、大学も3大学 4学部を同時に首席で卒業されております。大学に行かれる目的は自分のため ではなく、村のために経済も学ぼう、問題が起きた時、法律も知らなくては、 という考え方で行かれます。自分のために大学に行っていない。

 

勉強も真剣に授業に参加しているだけで改めて勉強はされない。試験でも テストに出る問題がわかり。試験でも答案用紙を配り終える頃にはすべて 答えを書き終わっている。このような離れ業を身に付けたからこそ3大学 4学部の同時卒業ができたのだと思います。

 

自分の鍛錬もさることながら病人のために天心療法、強圧微動術という 治療法も本に纏められ、実際に多くの人々を救っております。 私たち 肥田式強健術を志す者は万物の霊長と云われる脳力を引き出し、社会に 還元して行くことが肥田先生に対する礼儀です。

 

肥田式の大きな特徴は中心力から生まれる胆力を使い、神経を覚醒し、 心身を鍛えて行くところにあります。
肥田式で身についてくる能力というのは一般的な能力ではない。その ことを理解した上で鍛練する必要があります。

肥田式鍛錬法は本に纏められ一般に公開されておりますが、その型は 気合を使って行う型で初版の冒頭にも「気合術基礎」と書かれております。 必死の気で行う鍛錬だからこそ人間丸ごと変えることができるのです。 必死の気で鍛錬しても中心力10、部分力9の割合で鍛錬すれば身体を壊す ことは絶対ないと肥田先生は言い切っております。その型は生理解剖に あった自然な動き方だからこそ身体を壊すことはないのです。

鍛錬を続け、丹田思想をさらに発展させ「正中心」と名付け、史上初めて 丹田を合理的に、科学的に解説されている。鍛練を続けて23年目のある晩、 正中心に落節し、これが禅の奥義であり、あらゆる芸事の奥義であることを 体得された。肥田式が万芸の泉であると云われ、芸事の人たちが一目を置くのは丹田を つくる科学的な体系があるからです。

 

健康法から大悟徹底まで幅の広い鍛練法ですが、自分は何を狙って行くのか を再確認し、鍛錬に望んで頂きたい。肥田式は強健体の体系ですが普通の健康法にも大いに活用できます。また 老若男女、足の悪い方でも無理なく続けられるのも魅力です。

参考資料:「超人・肥田春允」

たなか 幽月

【昨年 年末最後の鍛錬会の様子】
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何が伝統なのか? 強健術(オーストラリア通信)3

第三回 【何が伝統なのか】

 

オーストラリアの植生は独特!根の立派な巨木。

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 鳥たちの賑やかなお喋りで朝目覚めると、オーストラリアは鳥の楽園だなぁと
つくづく思います。窓の外には南国にいるような色鮮やかな小鳥たちが近くの
家の屋根で飛んだり跳ねたりして遊びながらチチッ!チチッ!と啼き、その声
の響き、キレのある動きを眺めていると、今の生命を生きんとする気合が全身
からが溢れているように見えます。

我々人間も真に健康である時は朝の訪れを全身が喜び、陽の光の美しさを見て
は感激し、肺に入る空気は美味しく、目に映るものが輝いて見え、足取り軽く
これから生きる1日に対してワクワクする気持ちが湧いてくるものですが、そ
のような状態こそ人のあるべき姿であると思います。

さて、肥田式の汲んでいる伝統は何かということが今回のテーマです。 

日本という国では長い間、インド以東の宗教哲学が流入しては束ねられ、層の
厚い土壌に独自の文化が育まれてきました。他の国にあっては一つの宗教や考
え方が入ると、元あったものは捨てられ、破壊され駆逐されるのが常だそうで
すが、極東にあって文化の逃げ場がないからでしょうか?不思議と日本には新
しいものが古いものの上に重なって厚みを増していくのだそうです。言葉ひと
つをとって見ても、ヤマト言葉があり、それに漢字、カタカナと奥行きがあり
、、、。それと同じくこの聖中心道も分厚い土壌を足元に持っています。

 

== 修行の目的 ==

東洋の宗教哲学の根底には、人間が自然または大きな力の一部であり、その法
則性に一体化することを至上とする考え方があります。それゆえ、インド哲学
は梵我一如と言い、神道は神人合一、道教にあっては道(タオ)との一体化、
老荘は恬淡虚無、、といった境地に至るための修行法を伝えてきました。言葉
は違っていても、どれも万物の霊長である人間として最上の生き方、状態を目
指しているわけです。

春充師は、中心力である気合が起こった時には「宇宙の大生命と契合する
(契合:札を合わせたようにぴったり一致すること)と言っておられ、中心道に
よって至る境地が東洋哲学の伝統的理想に違わないことがわかります。その上
で肥田式が革新的であるのは、この理想的心身の状態を科学の言葉で説明して
いることです。春充師は、いわゆる無念無想、虚無の状態を生理学的に脳幹が
思考機能を停止している状態であると云われています。

 

== 気合という手段 ==

こうした理想的境地に至るための手段は、古来様々なものが生み出されて修行
されました。インドの宗教哲学的修行法であるヨーガにおいては神への帰依、
社会奉仕、哲学思索、真言(マントラ)、肉体操作、心理操作等其々の方面か
らのアプローチ方法があり、道教にも金丹や内丹による錬丹があり、仏教の中
でも宗派によって方法が異なります。

春充師はこの鍛錬の実行方法について、「武道の精華(真髄、本質)たる気合
をもって、腰腹同量正中心の鍛錬を行うのである」と言われています。つまり
気合を手段として「正中心(丹田を生理学的・幾何学的に定義した言葉)」を鍛
えることで、精神の働きを止めるに至るというのです。では、この武道の真髄
である「気合」とはどのような手段なのでしょうか?

 近代日本武道の大家は、「心法」をして東洋の修行法の骨子であることを述べ
られております。「心法」は心の操作によって心身を一体とする訓練であり、
古くは心理操作の方面から修行するラージャ・ヨーガがあり、この心の操縦訓
練という概念は仏教に受け継がれ、それが中国を経て日本に入った後、禅や修
験道(神仏道密の流れを汲む)での参禅、山籠りなどの修行法が一流の達人を生
んだことによって身体技能であった武術が、単なる身体の鍛錬ではなく「心」
と「身」をひとつにする道(剣禅一致)、心身統一の技術である気合を持つ武
道に昇華した、と考えられます。つまり、「気合」とは心身統一技術のエッセ
ンスであり、東洋哲学の理想に達するための手段であるのです。この心身一如
の状態を目指す態度は武道に限らず、茶道、芸道など様々な分野に受け継がれ
ました。肥田式強健術においての気合=心身統一は、「肉体の中心と精神の中
心が臍下丹田において一致する」ことであると表現されています。
 

== 心身統一の技法 == 

肥田式において「精神と肉体の中心を丹田で一致させる」ための方法は、どの
ような心身統一の伝統を受け継いでいるのでしょうか。

 精神のコントロールには集中と統一という方法があります。集中は禅定の禅、
またはダーラナ(Dharana)と呼ばれ、一つの対象に長時間意識を集中し留める
こと。対象があちらこちらに移らないように精神のフォーカスをコントロール
することです。

これに対して統一とは、ディヤーナ(Dhyana)で、他の観念によって気が散るこ
とがなく、対象となる一つの観念やイメージが途切れずに流れていること、ま
たは心を静かにして動揺させないこと(禅定の定)です。

春充師は気合を「全精神を、気海丹田に潜めた刹那の勢い」とし、鍛錬時には
「心を平静にして、精神を集注し、呼吸を定むる」と云われています。気合は
精神を丹田(中心)に集中するダーラナであり、心の平静を行う禅定の定、デ
ィヤーナでもあるのです。しかしながら、座禅や瞑想と違うのは、肥田式はこ
うした精神のコントロールを運動を介して訓練するところです。

 

== 精神と肉体の中心を一体としておさめる == 

瞑想や座禅などの修行は主に座った状態で精神をコントロールする訓練を行い
ます。ヨーガでは肉体的訓練は瞑想修行の前段階、準備段階として別に修せら
れており、禅も基本的には呼吸法と坐法がメインとなっていますが、武禅、運
動禅、体育禅と呼ばれる肥田式強健術は、運動神経と呼吸のコントロールとを
通して精神の修練が行われます。

呼吸法のほか、修験道の呪術や気合術、密教のマントラなど、発声という方法
によって呼吸の速さやタイミングの調節を行う運動神経の働きの訓練を顕在意
識、潜在意識のコントロールに役立てることが古くから行われておりますが、
肥田式では姿勢に対する呼吸の調節によって惰性と反動を起こして動作を生み
出します。この姿勢と呼吸のコントロール自体が精神集中と統一の鍛錬である
と同時に、呼吸と姿勢から生み出された運動によって物理的重心を丹田の位置
(正中心)に収めることで、呼吸姿勢動作から生じる腹圧による仙骨神経叢へ
の刺激が中枢神経をコントロールして精神的中心を肉体的中心に一致させると
いう構造の鍛錬となっています。

 

==まとめ==

このように肥田式強健術は、呼吸と運動神経のコントロールによって肉体と
精神の中心の一致を図り、最終的には自然法則との一体化という東洋哲学的
理想を達する手段であることがわかります。さらに東洋哲学、宗教、武道、
心法などの伝統を科学的に理解して方法を示されているという、類稀なる学
びであるのです。となればこの鍛錬を学ぶには、伝統のみならず科学も併せ
て学ぶ必要性があることは明らかであるしょう。

ということで、次回は肥田式を修練する上で、私たちが科学を学ぶ必要性に
ついて考えてみたいと思います!

           fromオーストラリア まい花 記

伝統とは   強健術(オーストラリア通信)2

第二回 伝統とは!         

夏の到来を前に、百穀を潤す雨が降る季節。シドニーは寒暖の差は激しく
ありませんが 日本と同じように四季の変化が感じられます。春の海は見る
にも美しく、まだ冷たい海水 に思い切って入ると、全身に自然の力の大き
さが感じられます。皆さまはいかがお過ごし でしょうか。

肥田式強健術の素晴らしいところは、場所を選ばず、国を選ばず、季節や
時間を選ばずに
日々続けていくことができることです。今日も気持ち良く
身体を動かして学べる歓びを共に味わいましょう!

 

さて、前回は肥田式強健術を「近代科学に裏打ちされた日本の伝統的気合
による心身鍛錬法」と表現して、東洋的な学びの方法について考えました。
今回からはそのようにして学ばれる 伝統とは一体何なのかについて見てみ
たいと思います。

 

伝統の「統」という字には、古くはたくさんの糸を合わせたもの、まとめ
るという意味があったそうです。身体感覚で伝統という言葉を考えると、
一人の人間が糸をいろいろなところから集めて一つにまとめ、次の世代に
渡し、その人がまた糸をより集めて一つにまとめていくことで前の世代の
ものを引き継ぎながらも全く新しいものを生み出してまた次の世代に伝え
ることになるでしょう。

この「伝統」に対して、「伝承」というのは一本一本の糸。貰ったままを
引継いでいくこと。さながらDNAのようです。伝承が一本一本の染色体
であるならば伝統はたくさんの糸をより合わせたDNAでありそれを体現
している人間そのものであります。

 伝承は伝統に不可欠な物ですが、伝承だけして伝統をしないものはクロー
ンであり、保存という意味では大切ではありますが進化向上というエネル
ギー性に欠けます。試行錯誤によるその時代に合った伝承の取捨選択や統
合というイノベーションが行われるがゆえに、伝統は偉大で尊ばれるので
あり、また、このように大きな可能性を持っているところに人間の一人ひ
とりの素晴らしさがあるのだと思います。

 

伝統ということの意味を踏まえて聖中心道肥田式強健術を修することを考
えてみると、明治
大正昭和という思想的な激動の時代に、国粋に偏ること
なくまた外来思想を崇拝することもなく、古今東西の鍛錬法を真摯に実験
研究し、近現代において心身を一体として最も深く効率的に鍛える方法を
纏め上げられた鍛錬法であることを思えば、一般の人々に認知されている
かどうかに関わらず、
強健術というのはまさに伝統のど真ん中に位置する
学びであると言えるでしょう。

では、この学びが伝える伝統とは一体何なのでしょうか。次回以降、具体
的にこの鍛錬の血肉となったものは何だったのか、様々な要素があるなか
で、肥田春充師が残されたキーワードを中心に考察してみたいと思います!

 

【静謐の中にさざなみの音を響かせるブロンテ・ビーチ】
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【ビーチを囲むようにして聳えるクリフ(崖)】
聳えるクリフ

          fromオーストラリア まい花 記

伝統に学んで日々闊達、人生を面白くしよう! 強健術(オーストラリア通信)1

皆様、ご無沙汰しております!
お元気でいらっしゃいますでしょうか?  まい花です!

こちらは最近すっかり春めいて薫風や春の嵐など季節の移り変わりを感じます。
チェリーブロッサムといって桜の枝などが花屋さんで売られていますが、枝や花の柔らかで
繊細な感じがなく、日本のとはちょっと違うな〜とおもいます。やはり日本の桜は綺麗ですね!
 
【太陽に輝くシドニー湾とオペラハウス】
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【緑一色だったハイド・パークにも春らしい色が】
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最近マッサージセラピストの学校を卒業してゆっくり勉強をする時間がとれるようになったので
再びブログを投稿させていただきました。
 
****

「伝統に学んで日々闊達、人生を面白くしよう!強健術」

 

まえがき

肥田式強健術とは何か?と尋ねられたら、
「近代科学に裏打ちされた日本の伝統的気合による心身鍛錬法」———とお答えするのがスッキリするかな
とおもいます。私たちが学んでいる強健術は、日本発祥の心身の鍛錬法である。伝統的技法(気合)を用
いるものである。そして科学をベースにしている。という特色を持ち、それがこの学びを唯一無二のユニ
ークなものにしています。
 
これらの特色を理解することは、鍛錬の本質に触れることを可能にして、更に今生きている日々に活かす
為に役立つはずです。そこで、強健術の鍛錬を自身の人生の糧として行っている皆さまと共に、この
肥田式強健術の肥田式強健術なる要素を紐解いて鍛錬と日々の生命に於ける向上の一助と為すべく、
2016年の末にかけて「伝統に学んで日々闊達、人生を面白くしよう!強健術」を隔週連載したいと思います!
 
 
第一回「学ぶ」とはどういうことか!?
 
肥田式強健術において向上とは「武道の精華たる気合をもって」「腰腹同量正中心の鍛錬」がなされる
ことです。このために「学ぶ」こと、「稽古」すること、「鍛錬」することが必要になります。
今回はこれらの言葉の起源から伝統的な学びの方法である「学」「稽古」「鍛錬」を強健術という文脈で
考えてみましょう。
 
学問というと机の上で書物を読んだり文章を書いたり問題を解いたりするイメージかありますが、学という
漢字は子供に手取り足取りしながら教える形を表していて、古代の中国では詩をうたったり舞ったり身体を
使った模倣による学習を指していました。人は無意識に真似をする習性があるそうで、何かを習得するとき
には必ずマネから入ります。
 
稽古という言葉は昔の事を調べて考えるという意味があり、過去の歴史を学んだりして学問をするという
意味だったのが、日本に定着してから室町時代以降武道や芸能などにおいての練習を指すようになりました。
 
鍛錬という言葉は元は金属を鍛える意味が、稽古と同様に日本に入って武芸などを通じて心身を鍛えて強く
することを指すようになりました。
 
「学ぶ」内容は、まず師匠のマネをすること。狭くは道場において型を習い、師の姿勢と動きを目に焼き付け、
気合の響きと息遣いを感じ、言葉を記憶し、道場の外においては師の生活、生き方、哲学、立ち居振る舞い
から人への接し方まで、どのように人生に強健術を活かしているのかを知るためにこれらも模倣します。
師を身体でなぞることで身体に記憶させ、考えさせます。
 
これはそのまま「稽古」に繋がります。「古(いにしえ)」即ち自分より長く学んでいる師について全身で
「稽(かんがえる)」のです。この「稽古」は身体による模倣に限定されません。もとの意味が学問を示した
ように、今は直接触れることの出来ない先人の残した言葉を書物などから知ること、歴史や科学などこれまでに
集積された人類の智慧を知る行為も大事な稽古の内です。「腰腹同量正中心の鍛錬」とはどういうことなのか?
を色んな角度から調べてみる。さらに進んで、「いにしへ(古)」が「去にし方」、過ぎ去った過去を全て含む
ならば、昨日の自分や、たった今終えた型を省みることまでもが稽古になるでしょう。
 
そして「稽古照今」、昔を知った上で「今」に照らしてかんがえる。肥田式を鍛錬された先人がどのように
生きたかを知って、では今という時代に於いて、自身の人生にどのように活かすか?をかんがえる、
昨日の自分のパフォーマンスがどうであったかを振り返って今日はどうすべきか?をかんがえる材料とするのが
稽古の目的です。その過程で何が本当に継承すべき本質か単なる枝葉なのかを取捨選択して発見していきます。
 
「学ぶ」段階は全てをそっくりマネてみる、能では「無主風」といわれる段階で、その後「稽古照今」を経て
本質を捉え自分のものになったとき、真似ようと意識しないのに師によく「似得て」しまう、本質は同じで
それ以外の部分は自由たり得る「有主風」の段階になります。師の動きをマネしている段階を過ぎて自分の
動きを反省改良していくと、期せずして師の動きと重なる瞬間に出会うことがあります。
 
「稽」という字は軍門に犬の生贄を捧げて神意を量る形を表します。「稽(かんがえ)」る対象は神意、即ち
自然の法則です。先人の中に自然の法則を求めて、稽古を重ねて自然の法則に合致した時、人の動きは本質的に
同じものになってゆくのでしょう。
 
稽古によって本質を摑むことによって「鍛錬」の段階に入り、鍛えるべき本質に焦点を定めてそれをとことん
練り上げていく。ここで言う本質とは、「武道の精華たる気合による腰腹同量正中心の鍛錬」です。
 
ということで早速「学」から始めよう、もしくはもうその段階を通り越して「稽古」「鍛錬」をしているという
方は多くいらっしゃると思うのですが、実は「学」に入るには前段階があります。
 
****
孔子は、定められた運命(命)を知り、自分の意思で変えることのできるものとできないものを見極めて心を正しく
使うことによって自分の未来を切り開くことを説きました。この「命」を知るために「学」に励むのですが、
「学」を行うその前に孝弟、謹慎、愛仁という態度で日常の行動ができるようになることが求められました。
これらを噛み砕くと、
 
・親やお世話になった人々の助けになるような行動を具体的に起こすという難しいことを行うことで意思を鍛える(孝)、
 
・学ぶ対象に対して頭を下げ、自分の考えや疑問を挟まず言われたことに素直に従う態度を身につける(弟)、
 
・言葉を軽々しく発しないように抑えつつしんで言葉より行動することに重きをおく(謹)、
 
・自分の本質と対話してその言葉を聞き、目標を定めて一旦言ったことは実現させる誠実さを身につける(慎/信)、
 
・利益にならない瑣末な事柄でも粗末な物でも気にかけて大切に扱い、感謝されてもされなくても憎まれても
できるだけ沢山の人を思い遣って施しをする(愛/仁)。
 
これが出来て初めてその先のことを学ぶ意味がある、というのです。というのも、これらの行動を通して自己の
言動や態度、心の持ち方などを観察、統御する訓練を行うことで日常生活の中で不満、煩悶、驕りや不和などの
否定的な情念が起きるのを防ぎ、学びに必要な健全な心身と豊かな感性を維持する事ができるからなのでしょう。
 
この過程を視覚化すると、「孝弟謹慎愛仁」の行動的修錬を土台として「学」、「稽古」、「鍛錬」を積み重ねる
ピラミッド構造になります。
 
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先人の歩みを観察すると、行動実績が圧倒的に多く、多くの人に与え、森羅万象に広く親しんで、実の鍛錬には
進むほど時間をかけずにより多くの効果を得ています。
 
武士道には儒教の考えが反映されていて、戦前の教育には徳育が含まれていました。こうした学びの過程は、
前の時代に生きていた人々や求めて教養を得た学び人にとっては当たり前だったのかもしれません。
行動力の土台なしに学んでも、積むそばから崩れてしまう、もしくは実社会で役に立たないものになってしまう、
ということを昔の人は知っていたのでしょう。
 
聖中心道はライフ-ロングの長い道のりです。着実に鍛錬をするため、行き詰まりを無くすため、自分に不足して
いるのは何か?を振り返りつつ、底辺にある日常における行動力の養成を基礎として稽古に励み、鍛錬の高みに
登りましょう!
 
 
***
<参考文献>
『古代中国の文字から身体感覚で『論語』を読みなおす。』安田登 (春秋社)
『「稽古」及び「練習」の語誌的研究』『「鍛錬」の語誌的研究』南谷直利、北野与一 (北陸大学)

桜と鏡

皆様お元気ですか? オーストラリアのまい花さんもお元気ですか?

 

東京の桜は今がピークですね。1年前に桜の写真を添付しましたが、また今年の写真を添付します。
(写真は石神井公園です)

 

最近の私は、強健術鍛錬用に鏡を購入しました。 鏡といってもガラスではなく、リフェクスミラー
というフィルムミラーです。ガラスの六分の一の重さで割れる心配もないものです。

 

ミラー用の専用台も一緒に購入しましたので、壁に固定しなくてもよいので使い易いと思っております。
ミラーのサイズは高さ170cm、幅90cmです。 当然ながら全身の動きを鏡を通してみること
ができますので、体育館でなくとも自宅で自分の動きを見ながら練習することができます。 これから
はこの鏡を使って練習をと考えております。(写真参照)

 

フィルムミラーといっても見えにくいのではというご心配は不要と思います。厚みのあるガラスの鏡
よりももっとリアリティがあるのではと思っております。 また鏡よりも安価かと思いますのでお勧め
します。 ちなみに専用台は高いメーカー品がありますが、別の会社の安価な台もあります。
鍛錬にお勧めの道具です!
                高橋記

 

【東京 石神井公園の桜です】

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【東京 石神井公園のお花です】

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【フイルムミラーです】
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健康から能力開発まで可能な心身強健術

健康から能力開発まで可能な心身強健術

 

人間は万物の霊長と云われているように素晴らしい能力持ち合わせており、その
能力は生命を脅かされた時、また必死の時に引き出されます。
呼吸が浅く、感情が乱れたりすると、上半身リードの動き方となって頭が真白に
なりパニックを起こしやすく、有効に能力を引き出すことができなくなります。

 

窮地に陥っても息遣いにより呼吸、感情をコントロールし能力を最大に引き出す
ことを目的にした鍛錬方法が心身強健術(肥田式強健術)になのです。
強健術の中に身体の自然な理想的な動き方を学ぶ簡易強健術という型があります。
この型は足を固定させ、息遣いにより中心に10、部分に9の力の配分で動かす
ことで心身の歪みを修正し理想的な動き方に戻して行きます。

 

この心身強健術の鍛錬は肚(丹田)を造る鍛錬法であるため、一部の人が密かに行
っている鍛錬方法です。(一般的にはあまり知られてはおりませんが著書には天覧
の朱印が入っている確かなものなのです)
今まで丹田を造る方法が抽象的でわかりづらいものでしたが、肥田春充氏が科学
的にわかりやすく丹田形成法を作り上げました。それが心身強健術です。
能力は必死に自分と向き合った時に覚醒されてきます。心身強健術で心身を改造
することができるのは「武道の精華たる気合を以って鍛錬する」という必死の気
を持って行う、裡に向けた鍛錬方法であるためです。

 

身体には壊れないように安全装置が働いておりますが、中心力10、部分力9の
力の配分であればいくら部分に力を入れても身体を壊すことはないと肥田先生も
おっしゃられております。自分の安全弁を外しながら万物の霊長たる能力を少し
づつ引き出して行く。
肥田先生が
「中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し」
とおっしゃられております。せっかく万物の霊長として生まれてきたわけですか
ら少しでも能力を引き出して行きたいものです。健康も能力もすべては裡に眠っ
ております。

 

肥田先生は茅坊と云われ、うつ病で、強弱体質で、いつ死ぬかわからない状態の
中で、自ら実験を重ね続け、作り上げた運動法で大悟徹底まで昇られました。
健康維持の方法としても足が悪い方でも行うことができる体系になっており、お
金をかけず、場所を選ばず、老若男女誰でも一生涯続けることができる運動です。
健康維持から大悟徹底まで自分の目的に合わせて学べる幅の広い鍛錬方法です。

 
 
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ドラで腹声を響かせながらの鍛錬

 

鍛錬のチェックの為にドラを使用しております。

下記の音声は簡易強健術(斜腹筋)です。

 

簡易強健術は足を固定させて行いますので、この重力のかかる中で
理想的な身体の動き方に修正できる有効な型です。

 

ドラを使い、響きのある腹声を物差しに毎日の鍛錬に使っております。
これから声を更に磨きをかけて行きたいと思います。

 

【斜腹筋の気合い(声)】※▷をクリックで聞けます

 

【ドラに腹声を響かせて】
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       幽月記

 

最近の稽古7月(オーストラリア通信3)

                          まい花記

 

【 七夕 】
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七夕ですね!皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
私は今年も短冊を日本に送らせて貰いました。
七夕祭りって素敵なイベントですね。

 

さて、身体を使って物を扱うときに、小さい筋肉よりかは大きい筋肉を使い、
手や腕の力よりは脚腰と体重移動を利用するのが大事だと言われます。でも
人が物を動かす時には必ず手が介在していますよね。

 

前回書いた通り私はかなりの細腕で、さらに足腰ばかりに注目してきて最近
まで全身運動に関わる上肢(肩〜指先)の重要性に気がつきませんでした。
西洋のバイオメカニクスでは、体重を利用して腕を使う時には突っ張らない
ように伸ばして体重がなるべく多くの関節を真っ直ぐ通るようにし、肩関節
(肩甲上腕関節)または肩甲骨を下方に回すというように表現されています。

 

日本で言う脇を締めろ、肩を上げるな!に当たるところだと思います。こう
することで肩腕が重心より上に上がるのを防ぎ、体重が肩を通って手に落ち
てゆくことができるそうです。

 

手や腕の動作よりも力がが通っていくための経路を作ること、関節を安定さ
せることが力を伝えるキーになるようです。
人間の肩の可動域は四つ足動物に比べてかなり広く、手を使った作業に貢献
しているのですが、それだけに関節を安定させる筋肉が使えないと負傷しや
すく、姿勢や作業効率の悪化を招きます。

 

最近、栄養素が豊富に含まれているので風邪予防に毎朝抹茶を飲んでいるの
ですが、気温が低いので日本から持ってきた羽織を引っ掛けて点てたり片付
けたりしているうちにハタと気がついたのが、和服の袖は人に肩関節を安定
させて日常の作業を行わせる役割があるということです。袖があるとに擦れ
たり引っ掛かったりするのを避けようとするので自然と脇が締まり反対の手
が添えられるなど、腕力で行われる不安定な作業が防止されます。一見邪魔
臭いのですが、お茶のお点前は腕や手の力だけで物を扱わない型で構成され
ています。

 

型だけを真似てみると非常に窮屈というか、たった一つの茶碗を移動させる
ために、100通り以上の近道があるのになぜこのような段階を踏むのか?と
思うのが、肩を安定させ足腰に繋げて同じ型を行うと、なるほど自然で無駄
がないと納得できます。肩が不安定だと、肩から先が自由に動く代わりに全
身の力が使えず、雑で非効率な成果しか出せません。この辺りのことはお茶
の先生である田中幽月先生にも聞いてみたいと思うのですが、知れば知るほ
ど日本の伝統の凄さを感じさせられます。

 

肥田式の稽古場では肩甲骨を寄せて下げよと教えられました。勿論呼吸への
関与も大きいと思いますが、全身運動という観点からもその重要性が見えて
きました。今月のお稽古は肩の使い方にも気をつけていこうと思います!
           まい花